パラオ4日目 ペリリュー

 明日の船で戻るなら、今日中に見所を訪れておかないと滞在期間が終わってしまう。日焼けも少し落ち着いてきたので頑張ろうかなと思ったが、宿での快適ライフも捨て難い。迷っているときにふとテレビをつけたらNHK! 日本でテレビをほとんど見ないこともあり、宿にテレビがあっても点けることは少ない。今回はインターネットも一切出来ておらず、もう10日以上外界のニュースから閉ざされていた。ニュースが見れるかとテレビを点けたが、日本語とは。久しぶりに見るNHKニュースは新鮮で、つい見入ってしまう。離島文化も知りたくて来た島でたいして見ずして終わるのは悔しいが、たまにはこういう時の過ごし方も良いかなと本日も遠出はしないことに決定する。昨日今日で溜まっていた日記も書くことが出来た。これならコロールかグアムでサイト更新が出来るかも。
宿に飾ってあった太平洋戦争時代の遺物
 夕方、宿で週末の空き部屋を確認したが、やはりないという。他の宿を探して日曜日まで島に居ることも考えたが、最終的には明日戻ることを決めた。機会があればまたこの島に来ることもあるだろう。

パラオ3日目 ペリリュー

 朝8時頃、近くの商店に買い物に行くも、もう日差しが強く、真っ赤になっている手足がまたヒリヒリしだした。これは良い宿でのんびりしろということか。観光や泳ぎに出るのはもちろん、散歩も止めて、1日宿でのんびり過ごすことに決めた。
ナッツを割るおばさん
 楽しきかな、離島の休日。

パラオ2日目 コロール、ペリリュー

 パラオでは離島に行きたいと10日の日程を組んでいる。残念ながら、一番行きたかったアンガウル島は定期船が2週間に1便と減便されていた上に船が故障とかで、断念。もうひとつ定期船のあるペリリュー島に行くことにした。ペリリューには週に2便、月曜と金曜に船が出ている。帰りは、日曜と木曜。出国のフライトが来週火曜の夜なので、定期船で往復するなら、遅くとも次の日曜の船で帰って来ないといけない。気に入れば1週間滞在したいので、まだコロールは何も見ていないが、今日(月曜)の船に乗ることに決める。
 船は14時出港だが、ホストの都合で9時に家を出て、港へ。しかし、5時間も港で過ごすのはもったいない。すぐ近くにもともと行くつもりだったアイスボックスパークがあったので、そこでのんびりすることにした。ここはコロール近辺で唯一シュノーケリングが良いとされる公共の海だ。しかし、問題が・・・、昨日の漁で私の全身は日焼けで悲惨な状態になっているのだ。公園まで頑張って来たものの、炎天下で泳ぐなんてとんでもない。風通しの良い休憩所でのんびり景色を眺める他はなし。
 コロールからペリリュー島には船で2時間半ほど。着いた時間はまだまだ日差しが強く、港から町まで歩く短時間でも日差しが辛かった。この島は第2次世界大戦で多くの日本人が命を失った激戦の地。港の近くにはいくつもの遺構が残っている。
日本領時代のリン鉱石積み出し用波止場
 町に着いて最初に見た宿は1拍65$。もう少し安い宿があるという情報だったので、さらに探すがどこもダイバーでいっぱい。やっと50$の宿で空きを見つけたが、内容が値段に伴わない。結局、最初に見た宿に戻ってチェックインした。この宿の部屋は広くて新しい。エアコンや冷蔵庫、ちゃんとお湯の出るシャワー室も部屋に付いている。おまけに共同キッチンがあり、きれいだ。週末は埋まっており、次の船で帰るか宿を動くかしなければならないが、まずは良い宿が見つかって一安心である。
 日焼けの皮膚が痛く、せっかくのお湯シャワーが浴びられないのは残念だが、エアコンの効いた部屋で体を休めるには最高である。その土地の文化を深く知るにはホームステイが最適だが、悪環境のところで気を遣いながら長く過ごすとどうしても疲れは溜まる。この宿はちょうど良い休息の場となるのである。

パラオ初日 空港、コロール(フィッシング)

 いよいよヤップと並び、この旅のメインとなるパラオである。私は9年振り、前回はツアーで滞在も短かく、パラオの文化を学ぶ機会はあまりなかった。今回はじっくりとパラオの文化を学んでみたい。少し早いが、ここからは実質的に旅の後半である。

 飛行機は約1時間遅れ、パラオ時間=日本時間の午前1時20分の到着となった。ヤップ時間なら2時20分だ。入国審査はヤップより慎重で時間がかかり、税関を出て、大勢の出迎えが待つロビーに出たのはかなり遅い時間。しかも残念ながら我々には出迎えが来ていない。ここでもホームステイの予定だが、着いたら電話をくれとのことだったのだ。深夜で悪いと思いつつも、他に行くあてはないし、そもそもタクシーさえ待っていない空港とあって、電話をし、迎えに来てもらった。
 今回のホストセレスティーンが電話を受けてから空港に着くのに30分もかからなかった。早かったので家はコロールでも手前にあるのかと思ったら、車はコロールの街を通り過ぎ、アラカベサン島へ。落ち着いた雰囲気で緑に囲まれた高台に彼の家はあった。ヤップと違い、ベッドのある部屋を用意してくれていたのが嬉しい。午前3時過ぎの到着なので、話は明日ということになり、シャワーも浴びず、すぐにベッドへ。1週間ぶり、やっと固い床寝から開放されて眠りについた。

 数時後、朝早くから起こされた。何事かと思ったら、隣家の人が外海に漁に出るから乗って行かないかとのこと。これはチャンスだ。ただし、大漁の願掛けなので乗せるのは男性のみ。女性はダメなのだという。あづさが行ってきてと勧めてくれたこともあり同乗することに。朝食はおろか、洗顔をするまもなく、出発。寝ぼけていたらあっという間に港に到着した。一緒に行くのは、大人3人と中学生くらいの少年1人に小学生くらいの男の子、私を含め6人が船に乗り込んだ。
 漁をしたのはリーフのすぐ外、コロールの街が遠くに見える場所だったり、コロールが島影に隠れる場所だったりするが、まあそう遠くない場所。魚を獲るのは、素潜りをし、ゴムで銛を飛ばす突き漁が主である。普段は仕事をしている人々の日曜フィッシングなので、各人が楽しみで来ている。一人はひたすら大物狙いに徹し、カメ2匹やシャコ貝、ロブスター、ボックスフィシュなどを獲ってきた。もう一人は、とりあえず持ってきたクーラーボックスをいっぱいにするといって、次々とリーフフィッシュを獲ってきたが、いっぱいになったら後は船上でのんびり。もう一人は船での見張り担当のようで泳がず、釣り糸を垂らし、中学生は大物狙いの人と一緒に一日中泳いでいた。小さな子供は付いて来ただけで、泳がず。私は、素潜りで何度か泳いで漁を水中から見ていたが、新鮮な刺身をたらふく食べたら眠くなってしまい、午後は寝不足もあってつい昼寝。これが失敗だった。いつの間にか居た場所に日があたっており、日焼けで翌日から悲惨な目に。
釣り上げた魚をその場で刺身に!
 朝9時前から夕方18時頃までずっと海にいて、戻ったのは暗くなってから。カメやロブスターのおすそ分けを期待したが、残念ながら持ち帰りでもらったのは魚のみ。船の上で腹いっぱい食べたシャコ貝がメチャメチャうまかっただけに、あづさに持って帰る分を欲しいといえば良かったかと少し悔やむ。でも夕食にと頂いたこの魚も非常にうまかった。

パラオへの道

メモ/18Mar2012/URL
 東京からなら直行便がある。地方からなら、グアム、ソウル、台北などで乗り換えていくことも可能。アジアを旅行中なら、マニラからのツアーが安い。

ヤップ最終日 ウォロウォ、オールドエアポート、ギルフィス、マキイ、ビチャル、トルー、空港

 ヤップ最終日の今日は、パラオのホームステイ先の人から紹介されたジョーと会うことになっている。数日前、オカウ村からの帰り道でヒッチハイクした時に偶然拾ってくれたのがジョー。お宅にまでお邪魔したシニアボランティアのTさんの同僚であり、我々のホストであるレイモンドとも知り合いで家にも来たことがあるという。人口が少なくて社会が狭いこともあるが、偶然にもほどがあるだろうということになり、最終日の今日会うことになったのだ。
 10時頃迎えに来てくれたジョーの車でまず向かったのはオールドエアポート。ジョーの村でゆっくり話をと思っていたが、ジョーはどうせなら島案内をしようと考えてくれたらしい。オールドエアポートは日本領時代に日本が整備した空港で、周辺のジャングルには第2次世界大戦時に墜落したゼロ戦が無数にあるという。そうしたゼロ戦の1つを見学した後、ジョーの村であるギルフィスへ。チーフの家にお邪魔し、またたくさんの石貨を見せていただいた。またジョーの孫が庭にあるローカルな薬草を色々教えてくれ、伝統文化の奥深さを知る。
ジャングルに放置されたゼロ戦
 そして、ジョーファミリーのプライベートビーチ。昨日見たビーチよりずっときれいだったが、今日はそんな予定はなかったので水着やシュノーケルの用意がなく残念。
 この後、ドイツ領時代に掘られたという水路を渡ってトミルガギル島へ。最終日になってやっとヤップ島から出たことになる。ここで訪れたのは旧日本人学校跡、セメントの門や建物の土台が森の中に残っているだけで、特に看板はなく、案内してもらわなければ分からなかった。昔はここに日本人だけでなくヤップ人も通い、多くのヤップ人が日本語を話すようになっていたそう。日本人学校の敷地のそばには新しく立派な集会所。これは伝統様式で立てられた見応えのあるものだ。ここにも2つ穴の石貨があった。2つ穴のある石貨は本当に珍しく、昨日ンガリ村で案内してくれたK君には、2つ穴の石貨はヤップに1つか2つしかないと聞いていた。我々は、2日で2つ穴の石貨が2つあることを確認し、それを2日で見てしまったということになる。
 最後に向かったのが、マープ島。この3島は橋で結ばれているので車で簡単に行けるのだ。主要4島の内、ルムング島のみ橋がなく、船が必要となっている。そのルムング島を遠望した後、トルー村を訪れた。ここの石貨銀行や男の家も見応えがあったが、ここで貴重なのは女の家である。昔は各集落にあり、生理中の女性などが過ごした場所だが、今はほとんど残っていないものなのだ。
 15時頃、ウォロウォに戻った。深夜のフライトに備えて昼寝をした後、夕食を戴き、出発まで家族と話をする。22時半に出発し、空港へ。2度あることは3度ある、今回も飛行機は遅れた。店の1つもない小さな空港、X線設備もなく、手荷物はもちろん、預け荷物も開いて人間がチェックする。当然時間はかかるが、客はそう多くなく、混乱はない。乗客も南の島で過ごした人ばかりなので誰もフライトの遅れなど気にしていない様子、のんびりしたものである。

ヤップ7日目 ウォロウォ、ファドール、ンガリ、マガチギル、トウォアイ、コロニア

 今日も朝のスクールトラックに便乗、高校まで子供達を送ったあと、そのままレイモンドの故郷であるンガリ村まで送ってもらうことに。途中、景色の良い尾根道を通ったりしながら、島の西南端へ。ンガリの男の家や石貨銀行、学校などに立ち寄った後、最南端にあるマガチギルの集会所前でトラックから降ろしてもらった。リーフ内は海まで私有地であることの多いヤップで珍しく泳いでも良い場所だということで泳いだが、残念ながらそんなにきれいではなかった。ヤップはダイビングで有名な島だが、船でダイビングポイントまで行かないと中々シュノーケルに適した場所はないのだ。
 マガチギルから歩いていると大きな石のお金があった。その家の人は非常に親切にジャングルに点在する石のお金など色々案内してくれた上に、ココ椰子や魚、タロイモなど昼食もご馳走してくれ、感謝。この家の人は自分で獲って来た魚や庭のタロイモ、ココナツなどを普段から食べており、食費は調味料くらいしか買わない伝統的な食で暮らしており、魚を獲るための銛や鳥を獲るためのパチンコなども見せてくれた。といっても原始的な生活を送っているわけではなく、車を持っているし、町に出たときにはインターネットもするという。石貨をたくさん持っている財産家なのだ。
獲れたての魚をごちそうになる
 14時頃学校に戻り、協力隊のK君に合う。石貨銀行などに案内してもらうことになったのだが、スコールが来て彼の家でしばらく話をし、その後、石貨銀行と男の家のある場所に。ここには非常に珍しい2つ穴の石貨がある。それ以外にも大きな石貨が多く、見応えはある。その後、ビーチへ。ヤップのビーチは、それぞれ持ち主が決まっており、勝手に入ると問題になるが、行ったのはK君のホームステイ先のビーチなので問題なし。近くの旧日本軍のトーチカも見学をした。
 17時過ぎにレイモンドが迎えに来て、トラックで戻る。ウォロウォに帰る前にコロニアで買い物。昨夜1週間分のホームステイ代を支払ったのでレイモンドは懐具合が良いのだ。ヤップ人は基本的に給料は2週間に1度の支払いだが、多くの人が1週間以内にお金を使い果たすという。さすが南の島。

ヤップ6日目 ウォロウォ、ハイスクール、コロニア

 今日はピースコで高校教師をしているビンスの学校訪問することになっている。初めて彼と会った2日目朝に、「学校を見に来る?」と問われ、「良いねえ」と気軽に答えたら、その日に早速アレンジしてくれていたのだ。
 毎朝、レイモンドのトラックでファミリーの子供達やビンスは学校に出かけて行く。今日はそのトラックに便乗である。家の子供だけだと思ったら、近所の子供を次々と拾ってからトラックはウォロウォを出発。まずはコロニアにある私立学校、次にコロニアから少し空港側に行ったところの学校。高校が空港近くにあるので、昨日40分かけて歩いた分岐まではこのトラックに乗ればいけるのを知ってはいたが、トラックは何故か分岐をオカウ側に曲がった。なんとオカウの近くの学校に通っている子供がおり、毎朝レイモンドは送っていたのだ。昨日1時間以上歩いた道のりが・・・。
 高校での見学は何故かビンスの授業ではなく、日本語の授業。先生は日本から協力隊で来ているCちゃんである。ビンスに紹介してもらい、少し話をしているとすぐに1時間目の授業時間となった。後ろで授業を見るだけだと思っていたら、子供達を前に自己紹介をし、事前に生徒一人一人が考えてきた質問に答えることに。最後にはなんと日本の歌をリクエストされ、歌わされるはめにまで。授業時間の大半を白板の前で過ごし、臨時の先生をした気分。急なことでびっくりしたが、楽しかった。2時間目も同様の授業。3時間目はCちゃんの空き時間だったので、色々話をし、4時間目の始まる時間に学校を出る。
ヤップ高校の日本語クラス
 高校のすぐ近くに、ドイツ時代(1899年~第1次世界大戦)の通信所跡と第2次世界大戦時の日本のゼロ戦が残っているとガイドブックに記述がある。しかし、ビンスもCちゃんも聞いたことがないという。仕方なく学校の事務所で訊ねてみると、通信所跡は高校からも見えている古い塔ですぐに分かったが、ゼロ戦は知らないという。ヤップはメインロード以外は全て私有地であり、島民でも他人の土地となる脇道へ勝手に入ることはまずないので、長年勤務している場所の近くであっても、外から見えなければあまり知られることがないのだ。ゼロ戦はあきらめ、通信塔跡の写真だけ撮って、ヒッチハイクでコロニアに戻った。
 人と会うために2度行ったオアシスレストランを気に入ったあづさのリクエストで、またも昼食は同じ店。初めて2人だけで入ってのんびりと食事をした。シニアボランティアのTさんと先日ここで話をした折に、時間があったらぜひうちに遊びに来て奥さんとも話をしていって誘っていただいていたのを思い出し、ここから電話。そのままTさんのお宅をお邪魔し、ヤップでの生活の話などを色々うかがった。
 一旦宿に戻り、夕方からはビンスとコロニアの奥にある小山までトレッキング。見晴らしの良い丘の上からはコロニアの町はもちろんのこと、島の反対側の海まで見渡せた。下山途中、すれ違った地元民に日本時代の大砲が森の中に残っているのを教えてもらう。こういった遺物がこの島には点在しているのだ。