ヤップ最終日 ウォロウォ、オールドエアポート、ギルフィス、マキイ、ビチャル、トルー、空港

 ヤップ最終日の今日は、パラオのホームステイ先の人から紹介されたジョーと会うことになっている。数日前、オカウ村からの帰り道でヒッチハイクした時に偶然拾ってくれたのがジョー。お宅にまでお邪魔したシニアボランティアのTさんの同僚であり、我々のホストであるレイモンドとも知り合いで家にも来たことがあるという。人口が少なくて社会が狭いこともあるが、偶然にもほどがあるだろうということになり、最終日の今日会うことになったのだ。
 10時頃迎えに来てくれたジョーの車でまず向かったのはオールドエアポート。ジョーの村でゆっくり話をと思っていたが、ジョーはどうせなら島案内をしようと考えてくれたらしい。オールドエアポートは日本領時代に日本が整備した空港で、周辺のジャングルには第2次世界大戦時に墜落したゼロ戦が無数にあるという。そうしたゼロ戦の1つを見学した後、ジョーの村であるギルフィスへ。チーフの家にお邪魔し、またたくさんの石貨を見せていただいた。またジョーの孫が庭にあるローカルな薬草を色々教えてくれ、伝統文化の奥深さを知る。
ジャングルに放置されたゼロ戦
 そして、ジョーファミリーのプライベートビーチ。昨日見たビーチよりずっときれいだったが、今日はそんな予定はなかったので水着やシュノーケルの用意がなく残念。
 この後、ドイツ領時代に掘られたという水路を渡ってトミルガギル島へ。最終日になってやっとヤップ島から出たことになる。ここで訪れたのは旧日本人学校跡、セメントの門や建物の土台が森の中に残っているだけで、特に看板はなく、案内してもらわなければ分からなかった。昔はここに日本人だけでなくヤップ人も通い、多くのヤップ人が日本語を話すようになっていたそう。日本人学校の敷地のそばには新しく立派な集会所。これは伝統様式で立てられた見応えのあるものだ。ここにも2つ穴の石貨があった。2つ穴のある石貨は本当に珍しく、昨日ンガリ村で案内してくれたK君には、2つ穴の石貨はヤップに1つか2つしかないと聞いていた。我々は、2日で2つ穴の石貨が2つあることを確認し、それを2日で見てしまったということになる。
 最後に向かったのが、マープ島。この3島は橋で結ばれているので車で簡単に行けるのだ。主要4島の内、ルムング島のみ橋がなく、船が必要となっている。そのルムング島を遠望した後、トルー村を訪れた。ここの石貨銀行や男の家も見応えがあったが、ここで貴重なのは女の家である。昔は各集落にあり、生理中の女性などが過ごした場所だが、今はほとんど残っていないものなのだ。
 15時頃、ウォロウォに戻った。深夜のフライトに備えて昼寝をした後、夕食を戴き、出発まで家族と話をする。22時半に出発し、空港へ。2度あることは3度ある、今回も飛行機は遅れた。店の1つもない小さな空港、X線設備もなく、手荷物はもちろん、預け荷物も開いて人間がチェックする。当然時間はかかるが、客はそう多くなく、混乱はない。乗客も南の島で過ごした人ばかりなので誰もフライトの遅れなど気にしていない様子、のんびりしたものである。

ヤップ7日目 ウォロウォ、ファドール、ンガリ、マガチギル、トウォアイ、コロニア

 今日も朝のスクールトラックに便乗、高校まで子供達を送ったあと、そのままレイモンドの故郷であるンガリ村まで送ってもらうことに。途中、景色の良い尾根道を通ったりしながら、島の西南端へ。ンガリの男の家や石貨銀行、学校などに立ち寄った後、最南端にあるマガチギルの集会所前でトラックから降ろしてもらった。リーフ内は海まで私有地であることの多いヤップで珍しく泳いでも良い場所だということで泳いだが、残念ながらそんなにきれいではなかった。ヤップはダイビングで有名な島だが、船でダイビングポイントまで行かないと中々シュノーケルに適した場所はないのだ。
 マガチギルから歩いていると大きな石のお金があった。その家の人は非常に親切にジャングルに点在する石のお金など色々案内してくれた上に、ココ椰子や魚、タロイモなど昼食もご馳走してくれ、感謝。この家の人は自分で獲って来た魚や庭のタロイモ、ココナツなどを普段から食べており、食費は調味料くらいしか買わない伝統的な食で暮らしており、魚を獲るための銛や鳥を獲るためのパチンコなども見せてくれた。といっても原始的な生活を送っているわけではなく、車を持っているし、町に出たときにはインターネットもするという。石貨をたくさん持っている財産家なのだ。
獲れたての魚をごちそうになる
 14時頃学校に戻り、協力隊のK君に合う。石貨銀行などに案内してもらうことになったのだが、スコールが来て彼の家でしばらく話をし、その後、石貨銀行と男の家のある場所に。ここには非常に珍しい2つ穴の石貨がある。それ以外にも大きな石貨が多く、見応えはある。その後、ビーチへ。ヤップのビーチは、それぞれ持ち主が決まっており、勝手に入ると問題になるが、行ったのはK君のホームステイ先のビーチなので問題なし。近くの旧日本軍のトーチカも見学をした。
 17時過ぎにレイモンドが迎えに来て、トラックで戻る。ウォロウォに帰る前にコロニアで買い物。昨夜1週間分のホームステイ代を支払ったのでレイモンドは懐具合が良いのだ。ヤップ人は基本的に給料は2週間に1度の支払いだが、多くの人が1週間以内にお金を使い果たすという。さすが南の島。

ヤップ6日目 ウォロウォ、ハイスクール、コロニア

 今日はピースコで高校教師をしているビンスの学校訪問することになっている。初めて彼と会った2日目朝に、「学校を見に来る?」と問われ、「良いねえ」と気軽に答えたら、その日に早速アレンジしてくれていたのだ。
 毎朝、レイモンドのトラックでファミリーの子供達やビンスは学校に出かけて行く。今日はそのトラックに便乗である。家の子供だけだと思ったら、近所の子供を次々と拾ってからトラックはウォロウォを出発。まずはコロニアにある私立学校、次にコロニアから少し空港側に行ったところの学校。高校が空港近くにあるので、昨日40分かけて歩いた分岐まではこのトラックに乗ればいけるのを知ってはいたが、トラックは何故か分岐をオカウ側に曲がった。なんとオカウの近くの学校に通っている子供がおり、毎朝レイモンドは送っていたのだ。昨日1時間以上歩いた道のりが・・・。
 高校での見学は何故かビンスの授業ではなく、日本語の授業。先生は日本から協力隊で来ているCちゃんである。ビンスに紹介してもらい、少し話をしているとすぐに1時間目の授業時間となった。後ろで授業を見るだけだと思っていたら、子供達を前に自己紹介をし、事前に生徒一人一人が考えてきた質問に答えることに。最後にはなんと日本の歌をリクエストされ、歌わされるはめにまで。授業時間の大半を白板の前で過ごし、臨時の先生をした気分。急なことでびっくりしたが、楽しかった。2時間目も同様の授業。3時間目はCちゃんの空き時間だったので、色々話をし、4時間目の始まる時間に学校を出る。
ヤップ高校の日本語クラス
 高校のすぐ近くに、ドイツ時代(1899年~第1次世界大戦)の通信所跡と第2次世界大戦時の日本のゼロ戦が残っているとガイドブックに記述がある。しかし、ビンスもCちゃんも聞いたことがないという。仕方なく学校の事務所で訊ねてみると、通信所跡は高校からも見えている古い塔ですぐに分かったが、ゼロ戦は知らないという。ヤップはメインロード以外は全て私有地であり、島民でも他人の土地となる脇道へ勝手に入ることはまずないので、長年勤務している場所の近くであっても、外から見えなければあまり知られることがないのだ。ゼロ戦はあきらめ、通信塔跡の写真だけ撮って、ヒッチハイクでコロニアに戻った。
 人と会うために2度行ったオアシスレストランを気に入ったあづさのリクエストで、またも昼食は同じ店。初めて2人だけで入ってのんびりと食事をした。シニアボランティアのTさんと先日ここで話をした折に、時間があったらぜひうちに遊びに来て奥さんとも話をしていって誘っていただいていたのを思い出し、ここから電話。そのままTさんのお宅をお邪魔し、ヤップでの生活の話などを色々うかがった。
 一旦宿に戻り、夕方からはビンスとコロニアの奥にある小山までトレッキング。見晴らしの良い丘の上からはコロニアの町はもちろんのこと、島の反対側の海まで見渡せた。下山途中、すれ違った地元民に日本時代の大砲が森の中に残っているのを教えてもらう。こういった遺物がこの島には点在しているのだ。

ヤップ5日目 ウォロウォ、オカウ、コロニア

 子供達を朝学校に送ってから戻ってくるので魚市場に行こうとレイモンドが誘ってくれたので、朝食後待っていたが9時を過ぎても彼は戻ってこない。遠くのオカウ村まで行こうと決めていた日なのに、当てにならない南の島の約束で1日潰すのが怖い。レイモンドとの約束と魚市場を優先させ、待っていてくれるというあづさを残し、一人で出かけることにした。
 宿からコロニアまでは10分ほど。そこから歩く人などほとんどいない空港方面に足を向ける。教会などを見つつ、空港とヤップ島の北に向かう分岐までが歩いて40分である。ここからは一本道なのでヒッチをしても良いかなと思いつつ、ひたすら歩く。分水嶺を越えると島の反対側の青い海が見え、その辺りで初めて休憩。下りは歩きやすいのでヒッチを試みることなく、ひたすら歩く。下りきって、また平地になった辺りで、ヒッチをしようかなと後ろを見たら、合図もしていないのに車が停まってくれた。優しいヤップ人である。しかもこの人はその辺りの村人だったのに、オカウまで送ってくれることになり、感謝。歩くと遠い道も車ならあっという間、5分もかからずオカウに着いた。
 オカウ村はヤップで一番の男の家と石貨銀行のある村とガイドブックに紹介されている。男の家は、男達が出漁の前日に泊まった集会所で、戦いの前に集まって会議をする場所などでもあったそう。メインロード沿いにあるオカウの男の家は確かにバラバットのものや博物館のものよりも立派だが、洋風建築で、伝統文化に興味がある者としては残念な建物。その周りにも大小たくさんの石貨は並べてあるが、ほとんどがオキーフ時代のもの。しかし、これは島一番という石貨銀行ではなく、石貨銀行村の奥。
 男の家の前から続く石の道を歩いていくと一軒の家があり、ここで村に入る許可をもらい、先に進む。タロ畑やヤシの林を抜けると民家が点在、軒先には古そうな石貨がどの家にも置いてある。道が分かりにくくなったところで、民家にお邪魔し、石貨銀行の場所とコロニアに抜ける道を教えてもらった。
 オカウの石貨銀行は確かに見事なものであった。車道に沿って並べられているバラバット村とは違い、ジャングルの中に続く石の道に沿って並べられており、これが厳かな雰囲気をかもし出している。時代を感じさせてくれる苔むしたものばかりで、割れたりしたものも多い。石貨で重要なのは、その石貨にまつわる来歴で、割れても価値は変わらないというのがおもしろい。一番大きな石貨は地上に出ている部分だけでも軽く2メートルはあり、地中に埋まっている部分を足せば直径3メートルありそうな大きさだ。今回の滞在中で見た最大のもので、もちろん今も価値ある古い時代のものである。ちなみに“最大の石貨”=“世界最大のお金”は、ツアーでしか行けないルムング島にあり、直径3.6メートルとのこと。
オカウ村の石貨銀行
 小川沿い、石貨銀行の先に続く石の道が、コロニアの近くに続いているという。歩けば1時間半はかかる車道を戻るのも嫌なので、その道をさらに奥へと進んだ。民家が切れても道の整備はしっかりしており、タロ畑やココヤシ林、ビンロウ樹の森が続く。もう峠が近いと思われるところに、ビンロウを採りに来た若者がいた。彼によると、「道がきれいなのは村人が入るこの辺りまで。その先はずっと人が通らなくなっているので、崩れているかも知れず、止めた方が良い」という。忠告を頭に入れ、さらに進んだところ、道はすぐに荒れ、進むのが困難になった。結局あきらめて車道に戻る。
 歩き出して10分も経たないうちに車が通り、ヒッチハイク成功。帰りはコロニアからあっという間だった。コロニアからホームステイ先のウォロウォに向かう途中で遅い昼食に出ようとしていたあづさとうまく会え、一緒にコロニアに。狙っていたローカルフード満載の弁当を買って、公園で昼食。歩き疲れていたので、これ以上散策することなく、ウォロウォに戻った。
 この夜は大きなカツオの刺身を2人で一尾分たいらげる。切り方は日本と同じだが、この家のタレは、ヤップでも人気の日本製わざびは使わず、醤油に庭に植えた木から採ってくる金柑と唐辛子などを混ぜたタレ。日本近海のカツオほど締まりのない南洋のカツオには、このピリ辛タレがよく合う。昨日買った一升瓶のヤシ酒と山盛りの刺身は疲れた体に最高!
 ちなみにヤップでは、刺身は「さしみ」、わさびは「わさび」、金柑は「きんかん」と日本語そのまま。弁当も「べんとう」、ご飯は「こめ」と呼んでいる。

ヤップ4日目 ウォロウォ、コロール、バラバット

 ステイ先には日本領時代にナンタクと呼ばれる日本の建物があったという。4日目の午前は、このナンタクの遺構を見、そのまま周りのジャングル地帯を散策した。ナンタクはセメントの土台がいくつか残っているだけで、何の跡なのか分からなかった。ジャングルの中にはいたるところにタロ畑があった。意外に奥まで開墾されているのだと驚く。豚も数頭飼っていた。鶏は放し飼いで、食べる時は罠を使って獲るそうで、卵は見つけられないから食べないというのももっともな飼い方。向かいの家では、昨日のヤシ酒おじさんがヤシの実の繊維でロープを編んでおり、女性達は伝統の姿である上半身裸で機織りと料理をしていた。
機織り
 レイモンドが知り合いの日本人に会わせたいとセッティングしてくれたので、今日も昨日と同じレストランで昼食をとる。会ったのはJICAのシニアボランティアのTさんで、ヤップの話を色々うかがった。
 昼食後、島一番のホテルであるトレイダーズリッジリゾートに行く。ここの従業員に、新しい石貨と古い石貨の見分け方を教えてもらった。ちょうどお昼にTさんから、「石貨には価値があるのとないのがある」という話を聞いて興味を持ったところでグッドタイミング。
 ヤップの石貨はすべてパラオで生産されたもの。ヤップにない材質の石で出来ており、時間をかけて手彫りで切り出し、カヌーに載せて命懸けで運んだからこそヤップで価値があったのだ。こうして造られた古い時代のものは表面は粗いが、これが今でも非常に価値のある石貨。19世紀末、米国人のオキーフという人物が、このヤップの石貨に目を付け、鉄製の近代的道具を使って大量生産した上で、大きな船でもってヤップに運んだ。ヤップの酋長達は、こぞってこの石貨を様々な商品と引き換えに入手したが、しょせんは大量生産されるようになった石貨であり、やがては供給が需要を上回り、石貨の価値は暴落する。その後、貴重な古い石貨の価値は見直され、オキーフの運んだ大量生産物と区別されるようになったという。オキーフはこの交易で大富豪となり、その子孫は今もヤップに暮らしている。
 この話を聞いて、さらに見分け方まで知ったので、新旧石貨の違いに興味が沸き、本日も3キロ先にあるバラバット村に歩いて行く。昨日と同じ石貨銀行の風景だが、一つ一つの彫り具合を確かめながら歩くとまた違った味わいがあり、おもしろかった。

ヤップ3日目 ウォロウォ、コロール、バラバット

 月曜日、朝食後にホストファミリーは出勤し、我々はのんびり。日本を出る前の寝不足がまだ続いており、午前中は部屋でのんびり日記をつけたりする。
 11時頃からコロニアに出て、スーパー、銀行などに立ち寄った後、レストランへ。今日はホームステイ先を紹介してくれた米国人のギャレットと昼食を共にする。彼は2004年から2年間ボランティアとしてヤップに来て、そのままヤップ人と結婚し、ここで働いている。彼がボランティア時代にホームステイをしていたファミリーを我々に紹介してくれたというわけだ。当然、ホストファミリーと彼は親しく、今日はレイモンド夫妻も同席し、5人で昼食をとった。コロニアの街は小さいので、街で働いている人なら中心にあるレストランにすぐ集まれるのだ。
 昼食後、歩いてバラバット村に行く。村の入り口には石のお金を並べた石貨銀行と呼ばれる場所がある。たくさんの石のお金があり、集会所と合わせ、見事な景観を成している。さらに村を奥へと歩いていくと車道の一番奥には野外集会所。これは石を敷き詰めた壇上に、背もたれとなる石が立てられている場所で、村によっては今でも使われている。ここにも大きな石のお金がたくさんあった。海側には男の家と呼ばれる伝統建築の大きな建物も。さらに奥へは、車の入れない石の道が続いている。この石の道を散歩していたらスコールが来そうになり、慌てて引き返す。最後は少し濡れたが、なんとか男の家まで駆け戻り、そこで雨宿り。中々雨は止まず、またもここで昼寝をしてしまう。
 夕方、宿に戻り一休みしているとレイモンドがヤシ酒を作るのを見に行こうと誘いに来てくれた。昼食時に頼んでおいたのだ。どこに行くのだろうと思ったら、向かいの家の老人がふんどし姿で家の前で待っていた。そしてすぐ近くのヤシの木に上り、ヤシの実をくり抜いた容器に貯めてあった樹液を集めて降りてきてくれた。ヤシ酒はヤシの樹液を集めて放置しておくだけで発酵してできるのだ。集めたその日は、発酵しておらず、甘いジュースだが、翌日にはもう弱いお酒になっていて、飲める。3日目4日目と発酵は進み、アルコールは強くなる。最高でひと月くらい発酵させる事もあるそうで、ひと月物はほんの一口で酔っ払うほど強いらしい。集めたヤシの樹液を入れて発酵させる容器は一升瓶、しかも日本語のまま「イッショウビン」と呼んでいる。名前だけでなく、本当に日本酒空き瓶を使っており、見学させてもらったお礼に購入したのは月桂冠のラべルの付いた一升瓶だった。どうせなら一番強いのを体験として飲みたかったが、この日の在庫は、3日物まで。3日物はチモールなどでよく飲んでいたのとほぼ同じ強さに思った。強くなるまで待たないのは味が不味くなるのかも。
ヤシ酒用に樹液を集める

ヤップ2日目 ウォロウォ、コロニア

 出発前に徹夜、フライト内でもほとんど眠れず、昨夜は午前2時を過ぎての就寝。さすがに早起きできず、9時過ぎに起きた。幸い今日は日曜日、共働きのレイモンド夫婦ものんびりした時間を過ごしている。ヤップの文化などを教えてもらいつつ軽い朝食をとる。

 まだ寝不足で体調が思わしくないので今日はのんびりする予定。家から街への道を教えてもらうためにトラックを出してもらい、昨夜暗い中を走った道を戻って、街の入口まで送ってもらった。
 ここから2人で散歩。橋を渡ったすぐのところに新しいヤップ生活史博物館ができている。祭壇と石のお金、男の家、集会所が再現された野外博物館。出入りは自由だ。石のお金がたくさん見られるのはやはり嬉しい。集会所は風通しの良いオープンハウスで、あまりに気持ちよく、そこで昼寝をしてしまった。
ヤップ生活史博物館
 次にスーパーマーケットへ。国一番のスーパーなので、ここを見れば大体何が手に入るかが分かってしまう。すぐ近くの商店であづさがフィリピン料理の調味料を購入。ヤップで最初に買うのがフィリピン料理の調味料?と思ったが、日本で欲しくて手に入らなかったものだといわれれば仕方ない。同じ店で「天ぷら」と呼ばれる丸い揚げパンを買う。もっとおいしそうなローカルフードもあるが、日本の影響で付いた名前で気に入ってしまったらしい。アメリカナイズされてどこでもクレジットカードが使えると思っていたが、ここは使えず。後で調べてみると、カードを使える場所はヤップにはほとんどないらしい。これはキャッシングしないと現金が足りなくなるかも。
 次に行ったのは日本時代の鳥居が残っているという場所。セメントの鳥居で趣きはなかったが、その前に日本の戦没者慰霊碑があった。戦前は日本領であったこの島は、米軍に攻撃によって大勢の日本人が命を落としているのだ。
 疲れが残っており、休めるところではすぐに寝たくなってしまう。公園のベンチで「天ぷら」の昼食をとった後、また少し昼寝。
 ヤップには石の道と呼ばれる石畳の歩道が縦横に走っている。車社会になる前はこういう道ばかりだったのか。今も多くの家は車の入れない傾斜地にあり、これらの道を人々は行き来しているのだ。そういった道を午後は散歩。途中で石貨銀行と呼ばれる石のお金を並べた場所を見つけた。集会所もあった。
 石の道から町に戻ってまた博物館に。今度はけっこう長い時間昼寝をしてしまい、後でレイモンドから「博物館で寝てたでしょ」と言われてしまった。オープンミュージアムなので外からもよく見えるのだ。

 宿に戻って、まずシャワー。もちろんお湯など出ない。でもこの気候なら気持ちよいシャワーだ。
 17時頃からの夕食準備をあづさは見学。私は少し見ただけで、部屋でのんびり過ごす。
 夕食は我々のリクエストに従って、タロ&スイートポテトと魚のソテー、野菜炒めだった。これだけでも十分だが、昨日のバーベキューの残りというポークやチキン、チーズソーセージなどもいただき、お腹いっぱい。同じ敷地内にあるホストの妹ファミリーの家にホームステイしているピースコ(海外青年協力隊の米国版)の兄ちゃんビンスも一緒に食事をし、色々話をした。

ヤップ初日 空港、ウォロウォ

 いよいよ今回のメインの1つであるヤップ島だ。ヤップはミクロネシア連邦を構成する4国の1つ。ミクロネシア連邦訪問は私にとって17年ぶりで2度目だが、ヤップは初めて。あづさは完全に初めてだ。
 3月10日到着予定のフライトは遅れ、到着は3月11日の午前0時半となった。空港建物の入り口には有名な石のお金が置いてあり、これで、ヤップに来たなーって思った。入国審査を済ますと今度は、伝統衣装でトップレス姿の女性から花輪を掛けてもらった。これに感激! 今まで世界中の国を旅し、伝統衣装で花輪サービスの経験はあった。しかし、伝統衣装といっても本来はなかったはずの"何か"で必ず胸は隠していた。それが文明化の象徴のようなものだったのだ。こんな場所が残っているとは!
wellcome yap
 税関を出ると今度は花で作った冠のサービス。これはこの島でホームステイをさせていただくレイモンドファミリーのサービスである。ホストとなるレイモンド家の人々と挨拶をし、「さあ行きましょう」と案内された車はトラック。移動はトラックの荷台だ。強烈で、ワクワクするヤップ旅のスタートである。
 トラックは街のほうに向かったが、街に入る橋は渡らず、しばらくしたらメインロードも外れ、未舗装路をドンドン登る。荷台でバナナの葉に頭を叩かれながら行き止まりまで。そこがこれから1週間滞在させていただくホストファミリーの家である。通された部屋は板の間で、ゴザと枕とシーツが用意されているだけ。コンセントもないのが不便だが、ないものは仕方ない。我々は地元民の文化が知りたくてホームステイをするのでこれでOKだが、まあ普通の日本人がホームステイでこれを見せられたらショックだろう。板の間にゴザだけで寝るのは鳴れないときついし、南の島で扇風機もないきついかも・・・。
 午前1時を過ぎていたが、ファミリーの人々と自己紹介やヤップでしたいことなど遅くまで話をする。話をしながら、この地域の伝統であるビンロウ噛みの体験をする。20年以上前に台湾でやって、あまりにきつく、私はそれ以来手を出していなかった。前回の旅でも何度か勧められ、あづさはトライしていたが、私は断っていた。しかし、今夜は昔の失敗の原因(石灰の入れすぎ)を教えられ、その結果、心地よく噛むことができた。一度くらいでうまいと感じるものでもないが、長年の謎が解け、感謝、感謝。